認知症が進行すると、「食べる」という行為そのものが理解できなくなることがあります。
スプーンを口元まで運んでも口を開けない。
開けても飲み込めない。
ただ時間だけが過ぎていく。
これは単なる拒否ではなく、摂食行為そのものの認知が難しくなっている状態です。
この段階になると、現場では「どう食べてもらうか」という判断に悩む場面が増えてきます。
吸飲みを使うかどうかで現場が割れる理由
吸飲みに溶かした栄養ゼリーを入れ、少量ずつ飲める方もいます。
この方法についても、現場では考え方が分かれます。
飲めるなら栄養を確保したいという考え
- 点滴を避けられる可能性がある
- 本人の負担を減らせる場合がある
- 少量ずつなら安全に飲めるケースもある
慎重に考えるべきという意見
- 本人の意思ではない形で口に入れることへの葛藤
- 苦痛を与えていないかという倫理的な問題
- 「食べる」という行為を無理に継続していないか
どちらにも理由があり、簡単に正解を出せる問題ではありません。
家族の希望がケア方針を左右する
このような場面では、家族の意向も重要になります。
「飲めるなら続けてください。」
という家族もいれば、
「もう無理には飲ませないでください。」
という家族もいます。
だからこそ、どこまでの医療・ケアを望むのかを事前に話し合っておくことが大切になります。
私が一番問題だと感じたこと
今回、一番気になったのは吸飲みの是非ではありません。
施設としての方針が統一されていないことです。
あるスタッフは吸飲みを使用する。
別のスタッフは使わず、毎食20〜30分以上かけて声掛けを続ける。
この状態になると、ケアの質は「誰が担当するか」に左右されるようになります。
属人化が始まると起きること
本来、標準化されたケアでは、
- 誰が担当しても大きな差が出ない
- 家族への説明も統一される
- 本人の負担も一定になる
しかし属人化が進むと、
- ベテランだけが食べさせられる
- 新人では対応できない
- 声掛け時間が担当者によって大きく変わる
- 本人の負担まで担当者次第になる
そして現場が頑張れば頑張るほど、
「まだ食べられる。」
という印象だけが上層部に伝わってしまいます。
医師との認識にもズレが生まれる
医師の方針は比較的明確です。
食べられなくなれば点滴。
点滴が継続的に必要であれば、施設での生活継続は難しくなる可能性があります。
しかし現場が何とか食べさせている間は、そのタイミングが見えにくくなります。
今回、現場で話したこと
中間管理職とも話をしました。
私が伝えたのは、
「もう『食べられません』『点滴が必要です』と看護へ上げてよい段階ではないでしょうか。」
ということです。
現場が限界まで頑張ることは決して悪いことではありません。
ただ、その頑張りによって本来必要な医療的判断や家族との話し合いが遅れてしまうこともあります。
まとめ
私は、今回の問題は吸飲みの是非ではないと思っています。
重要なのは、
- 本人にとって負担の少ない方法か
- 家族がどこまでの医療・ケアを望んでいるか
- 施設として方針が統一されているか
この3つです。
そしてもう一つ。
「食べさせられる人」と「食べさせられない人」が出始めたとき。
それは現場が悪いのではなく、ケアが属人化し始めているサインなのかもしれません。
その時こそ、施設全体で方針を見直すタイミングなのではないでしょうか。