当時の私は、施設で働きたかった。
でも施設系はなかなか空きがない。
だから、「まず病院に入って、空きが出たら施設へ異動できないかな」と思った。
面接の問い合わせで正直に、
「病院で働いて、施設に異動できたりしますか?」
と聞いてみたら、
「まず来てみて」
と電話で言われ、行ってみるとそのまますぐ面接になった。
その病院には保育園があって、年長の子も1歳未満児も一緒に預かってくれるという。
当時の私にはかなりありがたく、とりあえずパートで働き始めることにした。
配属先は整形病棟。
そこには、私より少し若いナースマンがいて、卒後2年目くらいの若い子たちに熱心に看護観を語っていた。
正直、見ていてちょっとしんどかった。
若い子には熱い。
でも、それ以外にはあまり興味がなさそう。
そんな空気を感じながら働いていた。
◇
私は16時までのパート勤務だったけれど、徐々に即入院やオペ入院を普通に取るようになっていった。
当然、16時で終わらない日も増える。
昼休みを削って入院書類を作っていたこともあった。
そんな時、卒後2年目くらいの子に、
「コール鳴ってますよ」
と言われた。
(いや、私、昼休みなんやけど……)
と思ったけれど、結局そのまま対応した。
だんだん、病棟業務そのものがしんどくなっていった私は、進んで毎日風呂介助に入るようになった。
病棟から少し離れられる時間の方が、気が楽だったからだ。
でも、気持ちが軽くなるわけではなかった。
インフルエンザにかかり、その後は胃腸炎。
身体の方も、なんとなく「もう無理」と言い始めていた気がする。
◇
その頃、看護部長との面談で、もう一度聞いてみた。
「施設の空きって、どうでしょう?」
返事はシンプルだった。
「空かないと」
期待を持たせるわけでもなく、ただそれだけ。
そして続けて、
「どーする? 辞める?」
と聞かれた。
私は、
「はい、辞めます」
と答えた。
◇
実はその頃、転職活動も同時進行で進めていた。
さらに、病院保育園を利用して働いたことで、次男を市立保育園へ入れることもできていた。
だから、あの「まず来てみて」から始まった5ヶ月間も、完全に無駄だったわけではない。
次男の保育園も決まり、次の転職先も動き始めていた。
私の病棟パート生活は、こうしてあっけなく終了した。
エージェントにも当たり外れはあるけど、それでも私はもう直接交渉はやらないと決めている。 自分で全部やるのは、正直しんどすぎる。基本めんどくさがりだから🤣