責任だけ手渡されたような夜勤だった。

午前3時過ぎ。

夜勤の休憩中、枕元に置いていた待機ケータイが鳴った。

「〇〇さんが転倒しました。おでこをぶつけてたんこぶがあります。」

一気に目が覚める。

続けて状態を聞くと、

「出血はありません。」
「吐き気もありません。」
「バイタルも問題ありません。」
「今は起きていて、少し興奮気味でよく話しています。」

その報告を聞きながら、私は時計を見た。

……あと1時間もしないうちに、私はいつも通り各フロアを回る。

毎日4時過ぎになると、

「何か変わりありましたか?」

と各フロアを確認して歩くのが私のルーティンだ。

だから、その時に診るのではダメだったのだろうか、と正直思ってしまった。

もちろん、転倒したことを報告するなと言いたいわけではない。

頭部を打ったなら報告は必要だし、経過観察も必要だ。

でも、その時点で私が休憩を中断して駆けつけたところで、医療的に何か変わることがあったのだろうか。

今回の利用者さんは、

・出血なし
・嘔吐なし
・バイタル異常なし
・会話可能

しかも、転倒したままの状態ではなく、すでに車椅子へ移乗し、フロアまで連れて来られていた。

もし、

「まだ床に倒れています。どうしましょう。」

という電話なら分かる。

でも今回は、状態確認も移乗も終わっている。

私が今すぐ呼ばれて判断することは、ほとんど残っていないように感じた。

実際、4時過ぎに様子を見に行くと、その利用者さんはもう眠っていた。

前額部には腫れと変色があった。

でも、意識状態に大きな変化はなく、救急搬送を考える状態でもなかった。

結局、その場で私がすることは、

「救急搬送が必要か。」

その判断くらいだった。

答えは「今は必要ない」。

だから、3時過ぎに起こされたことへの疑問は、結局最後まで消えなかった。

朝になると、その利用者さんはいつも通り起きてきた。

自分でアイスノンを額に当てながら、

「泥棒が来てね、捕まえようとしたら転んじゃった。」

と話していた。

認知症のある方らしい作話だった。

利用者さんが大きなケガにならなかったことには、本当にホッとした。

でも、あの夜の出来事で考えさせられたことがある。

私が感じた違和感は、「報告されたこと」ではない。

「今、この看護師を起こす必要があるのか。」

その判断だった。

夜勤中の看護師の休憩は、ただ寝ている時間ではない。

夜明けまで安全に業務を続けるために、判断力を保つ大切な時間でもある。

もちろん、状態が急変していたり、

出血が止まらない。

嘔吐している。

意識がおかしい。

そんな状況なら、休憩中だろうと何だろうと、すぐ起こしてほしい。

でも、今回のように、その場でできる対応が終わり、状態も安定しているケースでは、あと数十分後の巡回で確認するという選択肢もあったのではないかと思った。

あの夜、私は報告を受けたというより、

責任だけ手渡された。

そんな感覚が残った。

もちろん、それは介護職を責めたいという意味ではない。

夜勤帯は誰もが「何かあったらどうしよう」という不安を抱えながら働いている。

だからこそ、報告と、緊急の呼び出しは同じではないと思う。

「今、この看護師の判断が本当に必要なのか。」

それを一度立ち止まって考えることも、チームで夜勤を回す上では大切なのかもしれない。

あの夜以来、私は時々考える。

夜勤で看護師を起こす基準って、何なんだろう。